Column 3 荻窪名所探訪
光明院・荻窪白山神社
「荻窪」という地名の由来をご存じでしょうか。JR荻窪駅から電車が西荻窪方面へ走りだしてすぐ、線路の両脇にお寺と墓地が見えます。そのお寺が「光明院荻寺」と呼ばれ、「荻窪」の由来となったと伝えられています。
「光明院」にある「縁起石碑」によると、開創は和銅元年(708)にさかのぼると伝えられています。行基が作った仏像を背負った遊行中の僧が、急に背中の仏像が重くなり、付近に自生していた荻という葦に似た植物を刈り取って草堂を造り、仏像を安置したといいます。
行基は民衆に仏教の教えを説き困窮者の施設も造った高僧。なお、嘉永3年(1850)に再建された「光明院」の本堂は、もとは現在の場所よりも西南にありました。明治21年(1888)の甲武鉄道(現・中央線)建設のため、移設されました。また、「光明院」は鎌倉幕府の祈願所であったとも伝えられています。境内の「荻の小径」は、住民の線路の反対側へ渡る道にもなっていて、季節の花が咲きます。
「光明院」のご本尊は、千手観音菩薩。千住観音像では珍しい坐像の形をとっています。もとは、漆を塗って全体に金箔をした漆箔造りでした。現在は、永年の信仰の結果、香煙に厚く覆われ、くすんだ色をしています。
「光明院」の「夜念仏供養結衆交名板碑」は、区の文化財に指定されています。室町時代の東国の民間習俗を伝える板碑は宗教行事のさいに建立されたもので、念仏・夜念仏・月待などがあります。「光明院」の板碑は、その中でも比較的早い時期に出現した夜念仏供養のものです。
また、「光明院」から環状八号線を渡った場所に、「荻窪白山神社」があります。旧下荻窪村の鎮守で、イザナミノミコトをまつっています。
「荻窪白山神社」は、かつては歯の神様として信仰されていました。これには伝承があります。「荻窪白山神社」を奉祀した中田加賀守という人物の弟が歯痛に苦しんでいたところ、ある夜、「汝吾が社前に生る萩をもって箸となし、食事せよ歯痛癒えん」というご神託がありました。境内の萩を箸として食事をしたところ、不思議に歯の痛みが治まったと伝えられています。その話が広まると、遠方からも歯の痛みに苦しむ参拝者が訪れたそうです。昭和43年(1968)の社殿改築のさいには、古い社殿の長押(なげし)から納められた萩の箸が大量に出てきたといわれています。
「荻窪白山神社」境内には、戦前までは萩が生えていましたが、現在はその影をとどめていません。
慈雲山荻寺光明院
http://www.komyoin.com/
住所:東京都杉並区上荻2-1-3
連絡:電話03-3390-4647・FAX 03-3390-2004荻窪白山神社
住所:杉並区上荻1-21-7
連絡:03-3398-0517